「ふぁぼれよ」、RTよりFavを欲しがるのは何故か
「ふぁぼれよ」、自身の呟きをお気に入り登録するよう訴える呟き。
Twitterを漂っていると一度は目にしたことがあるんじゃないでしょうか?
#ふぁぼってくれたフォロワーさんを名前出さずに語る、などのハッシュタグがトレンド入りすることも珍しくありません。
そこで今回はRTとFavに関する個人的見解を交えつつ、人々が何故Favを欲しがるのかについて語りたいかと思います。
RTとFavのイメージ
リツイートはクラスのお調子者に「こいつこんな小説書いてやがるwwwおいwww見てみwww」とノートを奪われ黒板に貼り付けられるイメージで、お気に入りはクラスのマドンナに「○○君の小説、私は面白いなって思ったよ」と微笑みかけられているイメージ。
— 松駒 (@matsu_koma) April 20, 2012
この呟きの引用だけで記事を終わりにしたいですが、折角140字以上語れるので補足しますね。
リツイートは「呟きを共有したい」という動機が強く出ます。現に私も「この人の文章をもっと読んで貰いたい!」という思いで呟きをリツイートすることがあります。
お気に入り登録、いわゆるFavは「個人的に興味深い呟きを保存する」という意味合いが強いです。リツイートと違いお気に入り登録した呟きはタイムラインに表示はされないので、備忘録の代わりとして★をつける使い方をしている人も多いようです。
RTは必ずしも良い反応とはいえない
「この呟き、フォロワーさんにも伝えたいな」という思いで行うRTには悪い意味が込められていることもあります。
代表的なのが炎上を目論むRTです。冷蔵庫で涼んでいる写真や未成年飲酒を仄めかす呟きなど、人道に反した投稿者を吊し上げにしてやろうという意味で拡散されることは少なくありません。
また、呟きに対する批判・反論を述べる前段階として元の呟きを引用してくるという意味でRTされることもあります。「>RT 馬鹿じゃねぇのこいつ」みたいなのが例として挙げられるでしょうか。あれ、地味に傷つきますね。
あとは変則的ですが、「RTされた分だけ××買う、○○する」という類の呟きが不必要に拡散される事例もあります。個人的には「たくさんRTして投稿者を困らせてやろう」という狙いをこめた悪意の積み重ねのようで、この類のRTはあまり好きではありません。
Favに害はない
対して呟きをお気に入り登録することに敵意は感じられません。
後々読み返す用、保存用、目の保養、リプライ代わりに無言の同意……
★には様々な用途があれども、攻撃的なものはあまり見受けられません。
あとはLINEの既読のように「読んだよー」という目印として使われることもあるようですね。
個人的にFavは先生から貰える花丸のようで温かみを感じます。
「ふぁぼれよ」
ようやく本題に入れますね。人々は何故Favを欲しがるのか。
自己顕示欲を満たしたいことが第一に挙げられます。
ここで疑問に出てくるのは「RTよりもFavされたいのは何故?」ということ。
人々の目に留まりにくいお気に入り登録よりも、自身の呟きが数多くの人々に共有されるRTの方が自己顕示欲をより満たせるような気がしますよね。
ここからは個人的な見解です。
確かにRTされて色々な界隈の方々の目に留まるのは筆舌に尽くしがたい嬉しさがあります。しかし、それは一瞬のことです。いずれ新しい呟きに埋もれてタイムラインの底に沈んでいきます。対してFavは、★をつけてくれた方々のお気に入り欄に残り続けます。勿論その人のお気に入り登録数が尋常でない数ならばタイムライン上の呟きとそう扱いは変わりませんが、それでもタイムラインを遡って見つけるより容易に探すことができます。
自分の呟きが他人のどこかに残るという感覚を味わえる意味ではFavに軍配が上がるのではないでしょうか。自己顕示欲は他人に自分を受け入れてもらえたときにこそ満たせるもの、だからTwitterでは★を追い求める者があとをたたないのでしょうね。
以上、「ふぁぼれよ」という意思表示を1639字で語らせて頂きました。